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私というドラマを生き、気づきという愛を奏でる|ノンデュアリティと非二元と悟り

A Course in Miracles(奇跡講座)をベースに非二元とこの世界の摩訶不思議さを生きるブログ
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感情が荒れ狂ってしまうのは?

こんにちは^^中村です。

私たち人間は時として抑えがたい感情を持っています。

かなり昔のことですが、心の底から怒りをグワーっと感じたときがありました。

そのときに、お腹の中にヘビのような長い生き物がいるようにお腹の中がグルグルと回った感覚を感じました。

怒りのエネルギーが体を駆け巡ったことをはっきりと理解できた貴重な体験でした。

まずは身体を使って発散



感じ切る余裕がないほど強い怒りや悲しみは、身体を使って発散させるのが良いと思います。

抑えきれない感情は細胞にたまった思考や感情エネルギーの反応が大きいということです。

まずはその細胞に溜まっている思考や感情を発散させる目的で身体を動かすことをするのがよいです。

運動が苦ではないのなら、ランニングや水泳、ウォーキングなどもよいと思います。

ボクシングのサンドバックをたたくのもありです。

身近なところでは、枕やクッションなどをボッコボコにしたりするのもいいと思います。

まずはある程度、細胞記憶として溜まっているエネルギーを分散させましょう。

感情の発生メカニズム



感情の発生メカニズムとして必ずこの流れがあります。

思考 → 感情

瞬間湯沸かし器なみの速さの怒りでもこの流れは覆りません。

私たちには認識できない思考が感情を引き出しています。

この思考、普段は絶対にわかりません。

例えば、誰かに嫌味を言われたから怒りが沸いてきたのかもしれませんが、それは怒りの本当の理由ではありません。

もしその嫌味が怒りの本当の原因なのなら、その嫌味を言われた人すべてが怒りが沸いてくるはずです。

同じ言葉を言っても、怒りが沸いてくる人もいれば、悲しみを感じる人もいます。

また、全く気にならない人もいるでしょう。

人によって反応が様々なのなら、その嫌味が怒りの原因ではなく、言われた人の中にあると言えます。

思考 → 感情

嫌味をどう捉えたのかによって感情の種類が変化します。

どういう捉え方をする思考を自分がもっているのか、ここが感情の種類を決定します。

根源に存在する思考



どういう捉え方をする思考を自分が持っているのか、というのは、別の言い方をすると、どういう捉え方をしている自分がいるのか、ということになります。

それはどんな自己イメージを持っているのかということにもなります。

どんな「私」なのか、なのです。

「私」がいないという悟りや非二元(ノンデュアリティ)の言葉が魅力を感じるのは、無意識の内に持っている自己イメージが自分を苦しめていることを知っているからかなと思います。

私たちの中にはポジティブな思いをもった「私」もいますし、ネガティブな思いをもった「私」もいます。

実は潜在意識は無数に存在する「私」で埋め尽くされていると言えるでしょう。

私たちの形而上の部分からみると、私たちの経験は、神(一なるもの、愛)から離れ、「個」をもったことによる罪悪感によるものが、繰り返されている瞬間の連続です。

ですので、現実としては「嫌味を言われて嫌な気持ちになった」わけですが、同時に「個」をもったことによりできてしまった「私」の罪悪感が刺激されています。

時間は幻想なので、はるか昔という言い方は違うのですが、あえて「時間」を取り入れた言い方をします。

はるか昔、何十億年前に持ってしまった「私」という自己イメージがこの嫌味に反応しています。

抑えきれないほどの感情の場合は、「私」が強く反応しているということです。

思考や感情の元になっているものというのは、はるか昔にできてしまった「私」という存在になります。

「私」がいないことを見破るために



けれども、「私」がいないことが真実なのであれば、どうすればつくりあげてしまった「私」から解放されるのでしょうか?

それは、つくりあげてしまったのですから解体するということです。

「私」は幻想なので、解体というと実体を持っているように捉えられる可能性があり、解体という言葉は適切ではないかもしれません。

でも私たちは幻想だと思えないほどのリアリティの中にいるので、今は解体という言葉を使います。

解体は能動的ですので、無視をしたりなかったことにしたりすることではないです。

あえてそこに向かう、そうでなければ解体はできないません。

「感情を感じ切る」というのも意識的にその感情に留まらないといけないので、感情を解体していることになるでしょう。

根源的な「私」と対峙することで、実体があるような嘘を見破ることもできます。

今自分が感じている感情を無視したり、なかったことにしたりしてはいけないのです。

「苦しいもんは苦しい」

「辛いもんは辛い」

「悲しいもんは悲しい」

と「私」の感情を認めることが、非二元的な生き方として大切な一歩です。
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