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私というドラマを生き、気づきという愛を奏でる|ノンデュアリティと非二元と悟り

A Course in Miracles(奇跡講座)をベースに非二元とこの世界の摩訶不思議さを生きるブログ
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非二元と純粋非二元(pure nonduality)の違いとは?その2

こんにちは^^中村です。

さて「非二元と純粋非二元(pure nonduality)の違いとは?その1」からの続きです。

こんなこと書いてあったっけ??



「相変わらず分厚い本、、、、(´。` )」と思いながら、届いた「神の使者」を読み始めると、「えっ!こんなこと書いてあったけ??」というような内容がどんどんでてきました。

6,7年前はただただ読んだ気になっていたことが思い知らされました。

そして本を読み進めていくうちに、行き詰まり感を解消するヒントも書いてありました。

拭われていく私の中の不安



二人のアセンデットマスターの一人であるパーサのこの言葉です。

一なるもの、という考え方はべつに独創的じゃないわ。

でも、それなら自分は何と一つなのか、と問いかける人はあまりいない。

問いかけた人も大部分は神という答えを出すのだけれども、そこで「この宇宙は聖なるものによっていまあるかたちで創られた」と想定してしまう。

この想定は間違っているし、そう考えてしまうと、ブッダのように心を完成させた賢者でさえ、恒久的な意味で神に到達できなくなります。

そう、二元性の波動をつくりだす心とは一つになれるでしょう。

その心はすべての次元を超越した無という場にあっては、完全に時空と形のシステムの外にある。これが非二元性の論理的で妥当な帰結なのだけれども、それでもまだ神ではない。

それどころか行き詰まりの袋小路よ。

あるいは始まりの終わりと言うほうがあたっているかな。

仏教は世界で最も倫理学的に洗練された宗教だけれど、それゆえに神という問題を扱えない。

だから、あなたがたがブッダと呼ぶ身体のなかにブッダがあったとき、彼は神の問題を取り上げなかった。

わたしたちが非二元と純粋非二元を区別する理由もそこにあるの。

ブッダが「わたしは悟った」と言ったのは、自分は幻影に参加しているのではなく、自分がすべての幻影をつくりだしていると気づいた、という意味だったのよ。

でも、そこからもう一歩進んで、すべての幻影をつくりだしている心がそれ自身と完全に対立して神の側につかなければ。

もちろんブッダは優れた段階に到達した人だからそこに気づいて、すぐにJ(イエス)と同じ悟りに進んだわ。

でも、それは世界に知られていない生涯での出来事。

(神の使者p55~56)


この部分を読んだ時「そっかぁ、、、私の中に育ってしまった違和感はある意味正常な反応だったんだ、、、」と思えることは「何かを知りたいというエゴの罠かもしれない」という不安が拭われていきました。

理解できない非二元と純粋非二元の違い



ただ本に書いてある非二元と純粋非二元の違いがよくわかりません。

よく分からないというよりは、「ということは、こういうことなの?」という自分の理解に自信が持てなかったのです。

間違って理解しているのではないか?というのと、慣れ親しんだ非二元の概念、そしてそれが絶対的な真実だと思っていた私には、「ということは、こういうことなの?」と理解することは、非二元に間違いのラベルを貼ることになってしまうことだったからです。

ということは、ガンガジが言っていることは違うの?

ということは、アジャシャンティが言っていることは違うの??

「いやいや、そんなわけはないでしょう、、、、」とグルグル、、、。

ルパート・スパイラはどうなんだろう?

ネットで調べてみると、ガンガジは本当の意味では覚醒していないと説いているブログもみつかりました。

神の使者の本にもこんなように書いてあります。

世界的に有名な生涯で悟りに達したと思われている人たちがじつはそうではないことが多いんです。

ほんとうに霊的な完成に近づいた人たちの多くは指導者になろうなんて思わないから。

<略>

それでも人は幻想が真実からつくられていると誤解する。

だから幻想を捨てようとせずに、正統性を持ちこもうとする。

(神の使者p56,58)


非二元と純粋非二元(pure nonduality)の違いをただ知りたい



ただ私の中では、「あの人は覚醒していない」「あの人は覚醒している」というように考えることは、自分の中のエゴを納得させるだけで、自分の行きたい場所(目指すべき場所)に行くことはできないというのは、感じていました。

なので、シンプルに非二元と純粋非二元の違いを知ることを求めました。

600ページにものぼる神の使者を何度もよみながら、ノートに大切だと思われることを書き出し、理解するようにつとめました。

神の使者は「A Course in Miracles(奇跡講座)」の入門書として知られていますので、当然「A Course in Miracles(奇跡講座)」を読むことになります。

英語版はシェークスピア調に書かれており、ネイティブでない私にはかなり難しい(家の本棚に眠っています(^^;)ので、日本語版を読むことにしました。

湾曲して理解してしまっては元も子もないので、たくさんの翻訳本が出ていますが、奇跡のコースの教えを忠実に守ることを目的としている平和のための財団の正当な本を読むことにしました。

そうして読み進めていくと、非二元でいう気づきの意識や純粋意識と呼ばれているものは肉体をもっていない「心」であって、私たちの本当の存在の前段階ということが分かります。

つまり、気づきの意識(conscious awareness)は私たちの正体(大元)ではないことなのです。

非二元は私たちの正体は気づきの意識や純粋意識と呼ばれるものだといい、それは、刻一刻と変わる私たちの経験の全体として現れているものだといっています。

純粋非二元は、気づきの意識や純粋意識は、神から分離したと思い込んでいる「心」であり、神だけが実在する現実だといっています。

長くなりましたのでこの辺で^^

「非二元と純粋非二元(pure nonduality)の違いとは?その3」へ続く
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