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私というドラマを生き、気づきという愛を奏でる|ノンデュアリティと非二元と悟り

A Course in Miracles(奇跡講座)をベースに非二元とこの世界の摩訶不思議さを生きるブログ
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非二元と純粋非二元(pure nonduality)の違いとは?その1

こんにちは^^中村です。

非二元と純粋非二元の違い



非二元と純粋非二元の違いの詳細は後からにして、今はその違いを簡単にご説明したいなと思います。

非二元(nonduality)とは?



非二元は「二つではないもの」として認識されています。

よく例として般若心経の「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」が用いられます。

これは「事象は空(くう)と異なるものではなく、空(くう)は事象と異なるものではない。空(くう)はまさに事象であり、事象はまさに空(くう)である。」という意味です。

つまり「色と空は区別できないもの」と位置付けています。

純粋非二元(pure nonduality)とは?



「神」だけが真実(実相)でこれ以外は(すべて幻想で)なし!
(※ここの「神」は例えばブッタなど、ご自身がしっくりくるものでOKなんです。なので何か特定の宗教ということは決してありません。)

これだけなんです。

空と色があやふやではなく、はっきりと区別しています。

はっきりとした一元として伝えられています。

ただ大切なこととして非二元の「空(真我)」は純粋非二元では「空(真我)」ではありません。

さて、詳しい非二元と純粋非二元の違いをお伝えする前に、どうして私が純粋非二元にたどり着いたのかのストーリーをお伝えしたいなと思います。

一瞥体験後



一瞥体験までの「私」のストーリーはこちら

2013年の1月に一瞥体験をしてから、日々の感情の波が激しさを増し、またこの体験は思考で理解できることではなかったので、思考と感情と身体の感覚が付いていかず、しばらくはかなり苦しかったです。

ただ、彷徨う探求は終わりを告げていましたので、自分なりにその一瞥の体験を深めていました。

体験を深めるというのは、気づきの意識(conscious awareness)に寄り添うことや思考や感情をみつめることです。

ガンガジさんやアジャシャンティさんの動画や本をみて、自分なりに体験を深めていきました。

覚者に会うという手段もあったと思いますが、自分にとってはあまり魅力を感じなかったので、自分なりに日々を過ごしていたのです。

このあまり魅力を感じなかったということについては、また折をみて書いてみたいなと思います。

さて話を戻します。

自分なりにでしたけど、数年かけて体験を深めていくと、激しく暴れていた感情や思考が少しずつ落ち着きを取り戻していきました。

私が人生で知りたかったこと



そして私が知りたかった色々なことが分かるようになってきました。

一番は「私とは何か?」ということがわかりました。

肉体が自分自身ではないということを経験的に知ることができたのは、とっても大きかったです。

あとは例えば、「思考と感情がどこからやってくるのか」「すべてが自分というのはどういうことなんだろうか」そんなことが自然に分かるようになっていきました。

それはずっと小さいころから疑問に感じていた「生きることとは?」「命とは?」ということにつながっていたので、その疑問が解けていくことは、すごく楽しいことでした。

歯磨きと同じように、、、



なので、この体験を深めることを歯磨きと同じように日常生活に取り入れていました。

もちろん、うまく出来ない事も多々ありますし、思考や感情に翻弄されて、自分の正体が気づきの意識側だということを忘れてしまうことも多いです。

けれども小さな一歩一歩を進んでいきたいと思っていたのです。

あるときから感じ始めた行き詰まり感



そんな状態が何年も続き、ずっとこの先もこうやっていくんだろうなと思っていたのですが、ある時期から行き詰ったような感覚を感じるようになっていきました。

最初は「エゴの仕業なんだろうな、、、」「エゴの罠なんだろうな、、、」と思っていたのですが、違和感は段々大きくなっていきました。

決定的になったのは、母の癌の再発と私自身の身体の痛みでした。

「この世界は幻想」です。

「私はいない」です。

体感として自分自身は気づきの意識側であって、肉体ではないことがわかっていましたが、言葉にして表現するのが全くできないのですが、行き詰り感は私自身の心を大きく圧迫し始めていました。

それに日々、思考と感情を解放をすることを日々行っていたのですが、小さな、本当に小さな感情のゆさぶりにも違和感を感じていたのです。

私が助けを求めたもの



違和感を無視できなくなった私は、その答えをみつけなくてはいけないなと思っていました。

そこで私が助けを求めたものは「祈り」でした。

自分の中にあるものに対しての「祈り」でした。

気づきの意識の自分に対しての「祈り」でした。

そうして答えを待つことにしたのです。

もしその答えが「覚者に会う」ということであれば、私はそうしたでしょう。

もしその答えが「何もしない」のであれば、その違和感を受け入れることに力を尽くしたと思います。

答えがやってきた!



祈りを始めてから数日後、ボーっとしていたら(いつもボーっとしているんですが(^^;)頭の中に「神の、、、」という言葉と共に、6、7年ほど前に読んだ本の表紙が浮かびました。

「この本なのだろうか?」という疑惑と共に「随分前に手放してしまった、、、値段が高い本なのに、、、(゚ー゚;」という思いがでてきました。

でも祈ったのは私です、、、(゚ー゚;再度本を購入することにしました。

ただ「神の」の後のタイトルがわからずに、いろいろなキーワードを入れて検索をかけるも、違う本がでてきてしまいました。

困った私は再度祈り、、、

すると「ゲイリー」という著者の名前が頭に浮かびました。

この本は、著者と二人のアセンデットマスターとの会話を記録した本なので、ゲイリーという名前が本の中に何度も何度も出てくるために、呼び起こしやすい記憶だったのだと思います。

そうして無事にタイトルをゲットした私は、「本を手放さなければよかったな、、、(だって高いんだもん、、、)」というちょっとした後悔とともに、600ページ程度あるその本を購入することになったのです。

非二元と純粋非二元(pure nonduality)の違いとは?その2へ続く

ちなみに、本のタイトルはこちらです。

「神の使者 ゲイリー・レナード著」
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