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私というドラマを生き、気づきという愛を奏でる|ノンデュアリティと非二元と悟り

A Course in Miracles(奇跡講座)をベースに非二元とこの世界の摩訶不思議さを生きるブログ
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感情が荒れ狂ってしまうのは?

こんにちは^^中村です。

私たち人間は時として抑えがたい感情を持っています。

かなり昔のことですが、心の底から怒りをグワーっと感じたときがありました。

そのときに、お腹の中にヘビのような長い生き物がいるようにお腹の中がグルグルと回った感覚を感じました。

怒りのエネルギーが体を駆け巡ったことをはっきりと理解できた貴重な体験でした。

まずは身体を使って発散



感じ切る余裕がないほど強い怒りや悲しみは、身体を使って発散させるのが良いと思います。

抑えきれない感情は細胞にたまった思考や感情エネルギーの反応が大きいということです。

まずはその細胞に溜まっている思考や感情を発散させる目的で身体を動かすことをするのがよいです。

運動が苦ではないのなら、ランニングや水泳、ウォーキングなどもよいと思います。

ボクシングのサンドバックをたたくのもありです。

身近なところでは、枕やクッションなどをボッコボコにしたりするのもいいと思います。

まずはある程度、細胞記憶として溜まっているエネルギーを分散させましょう。

感情の発生メカニズム



感情の発生メカニズムとして必ずこの流れがあります。

思考 → 感情

瞬間湯沸かし器なみの速さの怒りでもこの流れは覆りません。

私たちには認識できない思考が感情を引き出しています。

この思考、普段は絶対にわかりません。

例えば、誰かに嫌味を言われたから怒りが沸いてきたのかもしれませんが、それは怒りの本当の理由ではありません。

もしその嫌味が怒りの本当の原因なのなら、その嫌味を言われた人すべてが怒りが沸いてくるはずです。

同じ言葉を言っても、怒りが沸いてくる人もいれば、悲しみを感じる人もいます。

また、全く気にならない人もいるでしょう。

人によって反応が様々なのなら、その嫌味が怒りの原因ではなく、言われた人の中にあると言えます。

思考 → 感情

嫌味をどう捉えたのかによって感情の種類が変化します。

どういう捉え方をする思考を自分がもっているのか、ここが感情の種類を決定します。

根源に存在する思考



どういう捉え方をする思考を自分が持っているのか、というのは、別の言い方をすると、どういう捉え方をしている自分がいるのか、ということになります。

それはどんな自己イメージを持っているのかということにもなります。

どんな「私」なのか、なのです。

「私」がいないという悟りや非二元(ノンデュアリティ)の言葉が魅力を感じるのは、無意識の内に持っている自己イメージが自分を苦しめていることを知っているからかなと思います。

私たちの中にはポジティブな思いをもった「私」もいますし、ネガティブな思いをもった「私」もいます。

実は潜在意識は無数に存在する「私」で埋め尽くされていると言えるでしょう。

私たちの形而上の部分からみると、私たちの経験は、神(一なるもの、愛)から離れ、「個」をもったことによる罪悪感によるものが、繰り返されている瞬間の連続です。

ですので、現実としては「嫌味を言われて嫌な気持ちになった」わけですが、同時に「個」をもったことによりできてしまった「私」の罪悪感が刺激されています。

時間は幻想なので、はるか昔という言い方は違うのですが、あえて「時間」を取り入れた言い方をします。

はるか昔、何十億年前に持ってしまった「私」という自己イメージがこの嫌味に反応しています。

抑えきれないほどの感情の場合は、「私」が強く反応しているということです。

思考や感情の元になっているものというのは、はるか昔にできてしまった「私」という存在になります。

「私」がいないことを見破るために



けれども、「私」がいないことが真実なのであれば、どうすればつくりあげてしまった「私」から解放されるのでしょうか?

それは、つくりあげてしまったのですから解体するということです。

「私」は幻想なので、解体というと実体を持っているように捉えられる可能性があり、解体という言葉は適切ではないかもしれません。

でも私たちは幻想だと思えないほどのリアリティの中にいるので、今は解体という言葉を使います。

解体は能動的ですので、無視をしたりなかったことにしたりすることではないです。

あえてそこに向かう、そうでなければ解体はできないません。

「感情を感じ切る」というのも意識的にその感情に留まらないといけないので、感情を解体していることになるでしょう。

根源的な「私」と対峙することで、実体があるような嘘を見破ることもできます。

今自分が感じている感情を無視したり、なかったことにしたりしてはいけないのです。

「苦しいもんは苦しい」

「辛いもんは辛い」

「悲しいもんは悲しい」

と「私」の感情を認めることが、非二元的な生き方として大切な一歩です。
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肉体の秘密と思考と感情の正しい接し方その2

こんにちは^^中村です。

強い怒りでワナワナしているときや苦しんでいるときは、自分に余裕はなく「それどころじゃない!」て思いますよね。

でもこれ、肉体の感覚がなければ、どうなると思いますか?

実は、怒りを感じることができないんです。

苦しみもありません。

思考と感情と肉体の感覚は下記のような相互関係があります。

そのどれかが完全になくなれば、他もなくなってしまうんです。

肉体の秘密と思考と感情の関係

細胞に蓄積する思考と感情エネルギー



思考や感情のエネルギーは私たちの身体の細胞にたまります。

それは量子物理学の世界では認識されているようです。

これを細胞記憶と呼んでいます。

医学部の教授だったリプトン博士の著書やロイド医学博士の著書である下記にはそのことが記されています。





この細胞に蓄積されている思考や感情と私たちの周りに漂っている思考や感情が反応を起こします。

これが私たちが感じる感情になります。

思考と感情をつかまえる私たち



以前思考や感情は私たちのものではないということを言いました。

http://acimlessons.blog.fc2.com/blog-entry-143.html

思考や感情は目に見えませんが、あなたの周りに漂っています。

形を持たないエネルギーなので、時空などにも影響を受けにくいです。

この思考と感情の特性があるから、過去世の痛みなどを現在、経験することになったりします。

私たちは細胞に蓄積した思考と感情エネルギー(細胞記憶)に応じて、周りに漂う思考や感情をつかまえ、反応します。

細胞記憶と潜在意識



細胞記憶と潜在意識は同意語だと思っていただいていいです。

肉体は一なる私たちがエゴと同一化し、分裂を繰り返した最終段階の状態です。

なので、肉体はエネルギーが物質化したものです。

肉体になる前のエネルギーは時空に影響を受けにくいので、過去世のエネルギーも入り込んでいます。

肉体を持つ前の私たちの意図もくまれています。

ですので、肉体の細胞記憶がとってもしんどい-つまり潜在意識にネガティブがたくさんあるということ-ということもありえます。

反応しきれば消える



私たちは細胞に蓄積した思考と感情エネルギー(細胞記憶)に応じて、周りに漂う思考や感情をつかまえ反応する、これが私たちが感じる感情になるといいました。

化学反応は反応しきると消えていきます。

同じように思考や感情も反応しきると消えていきます。

「反応しきる」とは「感じ切る」ともいいます。

ですので、湧いてきた感情をただただ感じ切ればいいのです。

湧いてきた思考に反応せずにただただ観察すればいいのです。

感情と思考の正しい接し方の基本は、「感じ切る」です。

でもそんなことができないほど荒れ狂う感情はどうしたらいいでしょう?

次回はそんなところに対してどう接していくのかについてみてみます。

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肉体の秘密と思考と感情の正しい接し方その1

こんにちは^^中村です。

気づきに気づいている、いないに関わらず、思考と感情に振り回されないことは、生きる上でとても重要ですよね。

また、苦しみや辛さから解放されることを願い、悟りや非二元(ノンデュアリティ)を求めている方もいらっしゃいます。

それも思考や感情が深く関わっていますよね。

苦しみという感情。

辛さという感情。

漠然とした満たされないような気持ちで悟りや非二元(ノンデュアリティ)を求めている方もいらっしゃると思います。

もちろん、好奇心バリバリの方もいらっしゃるでしょう。

でもそのすべてにおいて、苦しい辛い、満たされない、面白そうという思考や感情が影響しています。

思考や感情と悟りや非二元(ノンデュアリティ)が深く関わっていることがみえてきます。

思考と感情を受信する肉体



思考や感情は私たちの中から湧き出てきていると感じます。

この湧き出てきている肉体感覚があるので、思考や感情は私たちの中で起こっているような錯覚を覚えます。

この湧き出てくるような肉体感覚があるので、私たちは思考や感情と一体化して自分と切り離すことができません。

この思考や感情と肉体の密接な関係を非二元(ノンデュアリティ)の観点からみてみると、思考と感情の適切な接し方の重要性を感じ取れると思います。

エゴの最大の武器は非二元の最大の入口



エゴの最大の武器、それは「肉体」です。

この世界が幻想ならば、肉体ももちろん幻想ですよね。

でも幻想だと思えないほどリアルに感じるのは、肉体の感覚があるからです。

強い痛みがあるのに、その痛みを気にせずにいることが出来る人なんていないでしょう。

寒さ暑さも感じますし、甘味やしおけなども感じます。

肉体の色々な刺激を感じながら、それを幻想だと思うほうが無理があるかもしれません。

肉体は幻想の世界を現実だと思わせる最大のエゴの武器です。

ただ長所と短所が紙一重であるように、最大の武器は最大の弱点を備えていたりするものです。

その最大の弱点というのは、非二元(ノンデュアリティ)の入口です。

肉体はエゴの武器であると同時に、エゴの弱点である非二元(ノンデュアリティ)の入口でもあるのです。

肉体の感覚に集中すると?



瞑想をするときに呼吸に意識を集中させてみてください、と聞いたことがないでしょうか。

呼吸は鼻から息を吸い込む体の感覚やお腹の動きをコントロールできるからです。

呼吸という肉体の感覚に集中しています。

瞑想の時、呼吸に集中するのは、思考をしないためです。

いつの間にか思考をしてしまったら、また呼吸に意識を戻してくださいと言われるのはそのためです。

肉体の感覚に集中すると、かなり思考をすることを抑えられます。

思考や感情は形がないので、過去や未来の色々なところに飛んでいきますが、肉体はここにしかありません。

ですので、ここにしかない肉体に集中することは、非二元(ノンデュアリティ)の「今ここ」への切符になります。

私たちは肉体を持っているがために、幻想を現実だと縛り付けられていますが、「今ここ」への入口にもなっています。

でもなかなか身体に意識を向けるというのは、難しいところがあります。

この難しさがエゴの武器なんです。

肉体の秘密その2へ続きます。

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私たちのものではない思考に気づいていくと?

こんにちは^^中村です。

思考や感情は私たちのものではない?!



「思考や感情は私たちのものではなんです。」

そんなお話をすると、びっくりされます。

そりゃそうです、私もそうだと確信する経験があっても、びっくりですから^^;

でも、思考や感情が私たちのものではない、ということを身体で感じることができるようになると、気づきの意識に気づきやすくなります。

移動する思考



ちょっとした実験をしてみましょう。

少しだけイラっとすることや、悲しいと感じたことは思い出せますか?

ここで大切なことは、少しだけイラッとしたことや、悲しいと感じたことです。

大きなイラッや悲しいは、その感情に巻き込まれてしまうので、少しだけのイラッや悲しいを選んでください。

1.少しだけイラッとすることや悲しいことを思い出してみてください。

2.それを思い出しながら、「私は悲しい」と思い、その感覚を感じてみてください。

3.次に同じ出来事に対して「私は悲しいという感情を感じている」と思い、その感覚を感じてみてください。


なんとなく違う感覚になりましたか?

もしわからなくてもOKですので、わからないからダメだと思わないようにしてください。

同じ出来事の同じ感情なのに、感覚が違うのはなぜでしょう?

例えば、右手で持っていたカバンを左手で持ちかえたときも感覚は違います。

それとよく似ていると思います。

ということはカバンと同じように、どこかに置くこともできるし、掴むこともできるということです。

手や内臓はそんなことはできませんが、感情はできます。

そういう意味において、思考や感情は私たちのものではないのです。

感情は思考によって引き起こされるものですので、大きな意味においては同じものです。

同化する思考と感情



私たちが思考や感情を自分のものだと思ってしまうのは、身体にがっつりとくっついているからです。

思考や感情はエネルギー、つまり目に見えないものですので、身体の隙間をうめるようにしてくっつくことが可能です。

紫外線も目に見えませんので、腕を日光に出しておいたら、紫外線が皮膚にくっつきまんべんなく日焼けします。

じゃぁどうして身体にくっついて同化するのか?

それは私たちを目覚めさせないためにです。

この世界から目覚めさせないためにです。

思考や感情と同化し、思考や感情に振り回されているうちは、この世界にどっぷりとつかっています。

100%自分の現実として捉えています。

その状態ではなかなか「これは幻想だ」なんて思えません。

エゴはそこをちゃんとわかっているんです。

「私」という人生を生きるには?



この世界が幻想であると認識し、「私」という人生を生きるには、まずは幻想だと認識する必要があります。

自分の現実を現実ではないかもしれないという隙間がいります。

その隙間の役目をするのが、思考と感情に対する正しい接し方です。

正しい接し方をすれば、思考と感情と「私」に隙間がうまれます。


もともと、思考と感情は自分のものではのですから。

そのためには思考と感情をどう扱っていくか?ということが大切になってきます。

これは、気づきに気づいているいないに関わらず、人生を生きている今の状態においてもとても重要ですよね。

あなたは「怒り」で失敗したことがある人は多いかもしれません。

「悲しみ」をうまく処理できずに、人間関係が悪くなったこともあるかもしれません。

「嫉妬」に苦しんで辛い思いをしことがあるかもしれません。

思考と感情は「私」という現実の生き方にも多大な影響を与えています。

そしてそれは同時に、気づきにも大きな影響を与えるものとしての存在なのです。

次回は、思考と感情の問題についてお伝えしたいと思いますが、同時に「肉体の秘密」について知ることも助けになります。

自分の身体から湧き出てくるような思考と感情、、、

そもそも身体ってなんだろう?

思考と感情とどういうつながりがあるんだろ?

それは思考と感情の正しい接し方にとっても大切なものです。

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たかがストーリー、されどもストーリー

こんにちは^^中村です。

ストーリー、ストーリーというけれど、、、



苦しんでいる「私」いない、苦しみはただのストーリー

この言葉で私がいないという解放が起こり、楽になる方もいるでしょう。

それはそれでOKですよね。

でもこの概念に苦しむ方もいます。

そう、苦しんでしまうのは概念としてでしかとらえられないからです。

概念としてとらえている時、“ストーリーだから” “現実じゃないから” “「私」はいないから”というストーリーにはまり込んでいるパラドックスが起きています。

別の言い方でいうと、それらを煙幕にしているエゴの罠にひっかっています。

ですから、苦しみから解放されるためには、そのエゴの罠を見つけるほうが近道です。

エゴの罠はストーリーの中にありますから、ストーリーに目を向ける必要があります。

ストーリーにあえて「私」として入り込み、エゴの罠を見つけることが必要になってくるんです。

なので苦しみを感じているのなら、“ストーリーだから” “現実じゃないから” “「私」はいないから”というストーリーは、一旦考えるのをやめるのがいいと思います。

そこに拘っているかぎり、罠にはまり続けているわけですから。

“ストーリー” “「私」はいない”そんなことは関係なく、「苦しいもんは苦しんだ!」と苦しみを感じるほうが大切だと思います。

たかがストーリー、されどもストーリーなのです。

ストーリーであるという意味は?



空からすると苦しみは「私」という実体のないものがストーリーとして経験しているだけです。

これは間違っていません。

なので、「苦しみはストーリーにすぎません、以上!!」で終わることも間違ってはいないと思います。

けれども、ストーリーであること、幻想であるということは、“それらにすぎない”と解釈することではないと私は感じています。

ストーリーというのは、「ストーリーであるにすぎない」「幻想でしかない」という意味ではなく、ストーリーなのだからこそ、苦しむこと、悩むこと、怖れることをしてもいいということだと思います。

そしてそれが非二元(ノンデュアリティ)の二つでないものという意味の本質だと感じます。

苦しみや悩みがあるのは、それを持っていることはいけないことだという無意識の思い込みが前提にあります。

でもそもそもそれらはストーリーなのだから、苦しみの中にいることは、悩みを抱えていることは、不安でいることは、悪でも善でもなく、それらがそこに在ること or それらがそこにないこと、に対するジャッジは有り得ないということです。

それらにすぎないと解釈するから、苦しんでいることや悩んでいることが、「ストーリーから抜け出せないダメな私」というストーリーを強化させてしまっているように思えます。

幻想(夢)から覚めるには?



幻想(夢)から覚めるには、ストーリーをストーリーだと見破る必要があります。

となると、ストーリーに向き合わなければ、見破ることもできません。

ある日なんの知識もなく、ふいに一瞥が訪れる方もまれにいることは確かです。

ですが、そのまれにいる方の体験を自分も得ようとすることに無理はあるということは分かるはずです。

だって既にあなたは“探求”をしているのですから。

そうは言いつつ、ちょっとだけそういう方が羨ましいと感じること、実は私もありました^^

自分が空を概念でしか捉えれないという今の立ち位置を認めるならば、「私」はいないという空の視点のみからの見方はある意味、何も意味をなさないかもしれないということを感じれると思います。

とはいえ、この世界は幻想、「私」はいないという概念を顕在意識で知ることは、ストーリーから目覚めるきっかけにもなりえるので、素晴らしい知識でもあるわけです。

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「私」を幸せに生きることは可能なの??

こんにちは^^中村です。

この世界が恐怖(エゴ)でできているのなら、私の悩みはなくならないのでしょうか?

この世界が恐怖(エゴ)でできているのなら、この先ずっと虚無感を抱えて生きていかなければならないのでしょうか?

この世界が恐怖(エゴ)でできているのなら、「私」は幸せになれないのでしょうか?

あなたは幸せになってもいい



この世界は恐怖でできている、確かにそうです。

でも忘れていはいけないのが、それは幻想であって実体がないということです。

エゴには私たちに実体(現実)だと思い込ませることしかできないという限界があります。

なぜなら、私たちは神(一なるもの、愛)から離れたことはなく、分離したと思い込んでいるだけだからです。

ということは、本当の本当のところ私たちは、「愛」の中にいるわけなんですね。

ただそれを忘れているだけであって、もう既に愛の中にいます。

私たちに必要なのは、恐怖という幻想(夢)から覚めることであって、問題を解決しないといけないとか物質的な成功を願ってはいけないとか、そことは全く次元が違うわけです。

「私」の幸せを体現しながら、目覚めることをしてはいけないなんてことは、どこにも書かれていません。

むしろ“何でもあり”です。

でもどこかで私たちは、「悟り」「覚醒」「非二元(ノンデュアリティ)」と幸せとは両立しないような感覚を抱いていることも多いです。

はっきりと分かっていなくても、うっすらと両立はしない or してはいけないような感覚を持っている場合も多いです。

それこそストーリーの中で作り上げてしまった「悟り」「覚醒」「非二元(ノンデュアリティ)」のストーリーでしかありません。

「私」の幸せを体現しながら目覚めることを禁忌しているのはあなた自身の罪悪感です。

禁忌こそ罪悪感の表れ



禁忌をしてしまうのは、どこかで幸せになることへの抵抗、幸せになっちゃいけない「私」がいるからです。

これがまさにこの恐怖の夢に縛られている証拠とも言えます。

私たちがこの世界をつくってしまったのは、恐怖の罪悪感から逃れるためでしたよね。

恐怖の中にいるのですから、何もしなければ私たちは恐怖の夢に縛られているのが普通の状態ということです。

「悟り」「覚醒」「非二元(ノンデュアリティ)」に光を見出すのは、この恐怖の夢から覚めることができることを無意識に知っているからだと思います。

だからといって、「悟り」「覚醒」「非二元(ノンデュアリティ)」に至るまでの道を不幸で苦しい道にする必要はどこにもない、ということなのです。

輝いている真の生命



真の生命の私たちは輝いています。

ですから、「苦しみ」「虚無感」「怒り」でもがいているのは、幻想(夢)にどっぷりつかりすぎて、真の生命を忘れているだけです。

忘れているだけで、私たちは既にそこに在るわけですから、誰でもそれを思い出す(目覚める)ことはできます。

そして思い出すまで苦しみにいることは必要ではありません。

悟り、覚醒、非二元(ノンデュアリティ)と「私」の幸せが両立しえないと思っているのなら、それはあなたのストーリーなのです。

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私たちの問題のはじまり

こんにちは^^中村です。

私たちは生きる上で様々な問題(悩み)を抱えています。

ある人にとっては、もう生きている意味がないような気持ちになっているかもしれません。

その問題は解決できるのでしょうか?

それともずっとこの先も虚無感や問題に悩んで生きていかなくてはいけないのでしょうか?

これを解くヒントは、問題の始まりにあります。

それは“あなた”の問題の始まりではありません。

意識として個別の思考をもったときの「私(あなた)」に遡ります。

非二元とは“そこ”に対してアプローチする世界なんです。

問題が外に発生するわけ



前回までで、非二元からみた宇宙の始まりをみてみました。

簡単にいうと、「宇宙」というのは、神(一なるもの、愛)の罰を怖れた私たちの逃げ場所です。

恐怖を抱いたわけは、「神から分離(個別化)」をしたということから始まりました。

その恐怖から逃れるために、私たちは心の中の恐怖を外側に投影した形が宇宙だったのです。

外側に投影してしまったので、「自分以外の場所」に問題(恐怖)があると錯覚しているということなんです。

私たちは何か問題が発生すると、外側に意識が向きます。

これは問題は自分以外の外側にあると錯覚しているためなんです。

神さま(のような存在)もどこか遠くに存在するように感じます。

これも心を外に放り出してしまったために外に存在するように感じるということです。

すべて錯覚、それは夢(幻想)



ただ、これらの現象はすべて錯覚です。

神(一なるもの、愛)から分離したように感じるだけで、私たちは神(一なるもの、愛)から離れたことはありません。

神(一なるもの、愛)から離れることはそもそも不可能なんです。

ですので、この世界は夢、幻想です。

非二元からみると、この世界は夢、幻想だと言われるのは、こういう仕組みがあるからなんですね。

そして夢から覚めようと促されるのは、この世界のエッセンスが恐怖からだからです。

非二元を理解するために



となると、非二元を理解したい。

一瞥を体験したい。

悟りを開きたい。

という欲求を叶えるために最初にすることというのは、問題がどこにあるかを認識することだと思いませんか?

今抱えている問題(悩み)に対処するということではなくて、問題はそもそも自分以外の場所にないという認識をきちんと持つということです。

問題(悩み)の向きを変えてみる



問題は自分以外の場所にないという認識のもとで、問題をみてみるとどう感じるでしょう?

外に向かっていた目を内側に向けるとどう感じるでしょう?

あまりにも理不尽すぎるように感じるかもしれません。

そうすると、「(どうせ)私が悪いんだな」という思いがでてくるかもしれません。

もしそうなら、ここですでにエゴの罠にはまっていることに気がつくでしょうか?

問題(悩み)が自分以外の場所にないことを認識することと、「自分が悪い」ことはイコールではありません。

問題(悩み)が自分以外の場所にないからといって、自分が悪いと考えてしまうのは、まさに私たちがここ(宇宙)へ来た理由を再現しているんです。

エゴの罠を見抜くこと



自分が悪いからダメというのは、罪悪感そのものですね。

自分への攻撃そのものですよね。

問題(悩み)が自分以外の場所にないと考えると、即座に、ほぼ無意識に「自分への罪悪感」もその問題にくっつけてしまいます。

これがエゴの巧妙な動きです。

その自分への罪悪感に耐えきれなくなると、問題をまた外に見出そうとします。

かつて私たちが恐怖を外側に放り出し、宇宙をつくったように。

そうそう、ループしているということなんです。

私たちが抱えている問題は、まだ形がない状態のときの意識である私たちがたどった道を再現し続けているということです。

永遠に近い時間の中で私たちはずっとこのループを繰り返しています。

このループの中で私たちは生まれては死に、生まれては死にを繰り返しています。

そしてこのループに風穴をあけるのが非二元の世界でもあるんです。

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気づきの意識とは?宇宙の正体とは?

こんにちは^^中村です。

前回までで、宇宙の成り立ちまでをお伝えしました。

さらっともう一度ポイントを振り返ってみます。

宇宙が出来たわけとは?



この物理的な宇宙ができたのは、私たちの恐怖ゆえです。

何の恐怖でしょう?

神を裏切ったことによる、神からの罰が下るということに対する恐怖です。

別の言葉でいうと、罪悪感ですね。

それゆえ、心の中を心の外に転写したのがこの宇宙です。

ということは?

× この宇宙は聖なるものによっていまあるかたちで創られた

〇 この宇宙は私たちのすさまじい恐怖によりつくられた


宇宙は聖なるものではなく、エゴがつくりだしたものです。

宇宙は「愛」ではなく「恐怖」です。

これが大前提です。

形而上的な私たちの恐怖



「恐怖を感じているわたしたち」というのは、肉体をもっている私たちではなかったですよね。

気づきの意識といわれる意識がエゴを選択したときに発生する個別化された心(思考)でしたね。

その心が罪悪感から逃れるために宇宙創造をしたということになります。

まとめ



分離という思考を私たちの外側に放り出したことによる

「私」という思考が形成される意識の一部も私たちの外側に放り出したことによる。

これが宇宙の成り立ちです。

イラストにするとこんな感じ^^


神を恐れる私たち



神の罰から逃れたい私たち



外に投影された私たちの罪悪感

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