非二元から純粋非二元へ~奇跡講座を通して真に目覚める~

A Course in Miracles(奇跡のコース)は純粋非二元(Pure Nonduality)を通して私たちを本当の悟り(覚醒)に誘います
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■「私」というストーリー その3

「私」というストーリー その1はこちら

「私」というストーリー その2はこちら

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「自分が欲しいものってなんだろう?」

「本当に自分がほしいと思っているものって何だろう??」

この問いに真剣に答えをだすことだけが、残されている一つの道のような気がしていました。

そして、自分自身に問いかけ始めました。

使い切れないほどのお金があったら嬉しいけど、私の心は満足しない、多少の慰めになるだけだな。

これぞ自分の命をかけていいと思える仕事に出会えたら私、満足するのかな・・・?
でも何かが欠けているような気がする、心のこの空洞は埋まらないな・・・・。

完璧とも言える愛する人ができたらどうなんだろう?

私が欲しいものは、そういうことで代替できるようなものではない、ということだけははっきりしました。

その他にも「病気のしない身体?」「顔とスタイルが抜群では?」ということも自分に問うてみたのですが、どれも答えはNOでした。

安心感とか愛されたい感覚がもっと欲しいのか?
確かにそれは欲しい・・・でも、でも・・・・何か違う・・・。

自分が欲しいものをあらゆる限りだしてみましたが、答えを得ることができませんでした。

じゃぁ一体、私自身て何なんだろう??もう自分自身が分からなくなっていました。

そう自分自身が分からないのです。

中村まみ、セラピスト、そんなことじゃない、私って一体何??

私が一体何なのかを知りたい!!

心の奥底から沸いてくるこの強烈な感覚に、誰かが答えをくれるわけでもなく、激しいこの“飢え”に苦しんでいました。

そのときの自分はまるで生きる屍。
食べることと呼吸をしているので、かろうじて生きている、そんな表現がぴったりでした。

その“飢え”を抱えながら、いつもの惨めだと思っていた日常生活を送っていた冬のある日。

長靴にかかる雪を無心にみながら通勤をしていました。

長靴から伝わる雪の感触や頬にささる冷たい空気・・・を感じながら、「ふぅ・・・もういい・・・もう何もいらないから!この命もいらないから、もう何も望まないから自由になりたい!!!」と心の中で強く強く叫びました。

その瞬間、本当にまさにその瞬間、圧倒されるほどの感覚とともに、見えている世界すべてが“私”になったのです。

正確には、今まで「私」と思ってきた「私」は、「私」ではなくこの全てが「私」だったんだと意識が180度シフトしました。

「私」というのは、純粋で永遠なる存在として“今ここに既に在る意識そのもの”それが「真実の私」だったのだと理解しました。

私の喜び、悲しみも苦しみと「私の」と考えていたものすべては、この活き活きとした静寂の意識という存在の中から生まれ、そしてまた消えていく、これが絶対的な自分というものの真実なんだと。

それは、その静寂の意識という存在が私の本当の姿ということでもありました。

しかも驚くべきことはそれを私はずっと以前から知っていたことでした。

「やっと思い出せた・・・そうだった・・・私は死ぬことも生きることも、ましてや神に創造されてものでもなく、ただ今ここに永遠にあり続ける“それ”だったんだ」と。

それはあの強烈な飢えへのすべての答えでした。

「私」だけではなくすべての存在は、この意識そのものであり、それはあらゆるところに、見えるもの見えないものすべての中に既に在ったのです。

それは同時に私の長い長い探求に終わりをつげた瞬間でした。

次回は最後、「私」というストーリー その4です。

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■「私」というストーリー その2

「私」というストーリー その1はこちら

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「幸せってどこにあるんだ?」
たぶん多くの人が幸せってどこかにあるものだと思って、求めていると思います。

私もそうでした。

「幸せじゃないから、幸せにならなければ!!!」
と色々なことに挑戦してみました。

ウォーキングやお花やサークル活動、イベントへの参加や○○セミナー、瞑想などの精神世界、等々いろいろなことをしました。
その中で今も続いているのが、セラピーや占星術、タロットの勉強でした。

自分がとても生き辛くて苦しかったので、心の世界への興味がとわけ高かったなと思います。

本も1ヶ月に15、6冊読んでいたときもあり、この生き辛さの原因はなんなのか、どうしたら生きている感覚を得られるのか、そんなことを必死で探していました。

でももがいてももがいても、答えはみえてこず・・・。

幼少期の生育環境もとても影響しているのがわかったので、よいと言われる事をしてもやっぱり苦しくて苦しくて・・・。

訳の分からない生き辛さが、自分という人間への惨めさや情けなさになり、どんどん自己否定感が大きくなるばかりでした。

私は幸せになるためには何かにならないといけないと思っていました。

何かになるためには、このダメな自分をダメじゃない自分にしなければいけないのだと、セラピーなどもたくさん受けていました。

こんなダメな自分を何とかしたくて、イギリスまでカウンセリングを学びに行きました。

ダメな自分を変えなければ幸せになれないと思って・・・。

でも全然苦しみは減らず、なんだかどんどん苦しくなってくるのは、なんでだろう?どうしてだろう??と底なし沼のような深みに沈んでいくような、そんな怖さを感じてたのです。

今ならわかります。

ダメな自分を否定すればするほど、ダメな自分は強くなります。

なぜなら、私たちの現実は“今”この瞬間の積み重ねです。

“今”この瞬間がダメなら1秒先の自分もダメなのです。
ということは、未来永劫ダメな自分しか生まれません。

たとえ、歯をくいしばって目標を立てたとしても、ダメな自分が消えることはないのです。

マイナスにプラスをかけてもマイナスが大きくなるように、ダメな自分の立ち位置からは、決して幸せにはなれないということが分かったのです。

しかも、ダメな自分というのは単なる思い込みで、真実ではありません。

私はそのダメな自分という幻想にのめり込み苦しんでいました。

一度、「私は今まで不幸だったことなんてなかったんだ・・・」
「ずっと幸せだったのにどうして不幸だと思ったんだろう?」
というびっくりするような気づきを得たのですが、段々とその感覚もなくなっていきました。

そして何かが足りないような苦しい感覚、それはまるで水を飲んでも飲んでも喉が焼けつくような乾きです。
あるいは、砂漠の中で水を求めているようなそんな感覚だけが残りました。

「私は一体何がほしいのだろう?」
「幸せになるってどういうことなんだろう?私は何があれば幸せだと感じるんだろう?」
という底知れない、答えなんてないんじゃないかと思うような深い闇におちていくようで、とても怖かく、そしてとても疲れていました。

「あれから10年か・・・」という呟きには、生きる気力は残っていませんでした。

何にも手に入らなかった、苦しさだけが残ったこの感覚に絶望していました。

ただ、もう死ぬことも自分の選択肢としては残っておらず、生きることも死ぬこともできない自分をどうしていいのか本当にわからずに、その場に立ち尽くすことしかできませんでした。

「私」というストーリー その3へ続く

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■「私」というストーリー その1

「そうだ、ママはいないんだった・・・・」
夜中に目を覚ました幼い女の子は、こうつぶやくと自分の体温で温まった布団をお母さんのぬくもりの代わりにするように、頭からかぶるとまた眠りにつきました。

この女の子は私です。

40年の人生を振り返ったとき、「自分は一体何なのか?」「人を愛するってどういうことなのか?」を10年以上ソウルメイトを探し求め、さ迷った経験をした私の軌跡について書かせて頂きました。

私の家庭は、物心がつく前に父が出て行きました。
そのため母は昼夜問わずに働いていたので、もっぱら留守番をしていました。

寂しがり屋で甘えたの私にはこの環境は他の人以上に苛酷で、小さいころから生きることに消極的だったと思います。

小学校の時にいじめにもあい、もう死んでしまいたいなという想いをずっと感じながら生きてきました。
そしてそれは、「死んだらどうなるんだろう?」「いつか死んでしまうのに生きなくちゃいけない理由ってなんだろう?」「自分てなんだろう?」という答えがでないような哲学的な疑問を抱くきっかけになったんだと思います。

ある日テレビでアフリカの子どもたちの飢餓問題を放送していて、「自分とこの子と何が違うだろう?」と思うと同時に、「私はどうしてお父さんがいない家に産まれてきたんだろう?」そんなことを日々考えていました。

ずっと考えていたのは、現実をみなくていいから。
でも大きくなるにつれそんなことを考えることも馬鹿らしくなり、心は空虚感でいっぱいになっていき、ただただ毎日を怠惰に過ごしていました。

その乾いた心を埋めたかったんだと思います。
20代半ばに結婚をしましたが、それは何の解決ももたらさず、自分が何かに追い詰められていくだけでした。

そしてその次にとった私の行動は、何か良い職業につけばきっと自分は充実感を感じることができるだろうと、猛勉強の末、地方公務員の上級職につきました。
でも数年後、私は頑張って得たその職を失い、夫を失い、健康を失って、自分の部屋で布団を頭からかぶり、外に一歩も出れなくなっていたのです。

「どうしてだろう?」
「なんで??」
「私、何か悪いことした??」

「ただ、幸せを感じて生きていきたかっただけなのに、どうしてこんなことになったんだろう?」という絶望の中にいました。

そんな私が死ぬことを選択しなかったのは、その一年前に入手したイヴァルナによる私のソウルメイトリーディングと「神との対話」やワイス博士の「前世療法」をはじめとするスピリチュアルな教えのおかげでした。

この人に会ってみたいな・・・
そして小さいころ考えていた、「幸せってなんだろう?」「自分てなんだろう?」の答えが知りたいという魂の欲求による旅が始まったのです。

「私」というストーリー その2へ続く

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